子どもの頃から歌うことが苦手だった私の人生の物語。2024年7月より毎週月、木曜日に次の話を配信。第1話は、こちら。
第19話 新しい風を感じる
演奏を聴いていたほうからすると、途中で止まってしまったね、と思うかもしれないけれど、私にとっては非常に大きな体験となった。過去世からの復活。まさにこの一言に尽きる。
私との入籍を控えていた彼女は、発表会の会場に行くと彼女自身の気持ちが落ち着かないからと、当日は来なかったけれど、リハーサル後には連絡をとっていた。
そのときの私の状態を知った彼女は、メールをくれて、しかも、これは後から聞いた話だが、私の気持ちが少しでも落ち着くように、本番の時間に合わせて気持ちを投げかけてくれていたようだ。
やっぱりあの安定した本番の空間には、いろいろな目に見えないエネルギーが届いていたのだろう。
発表会を終えてからピアノのレッスンに行くと、今後のレッスンではどんな曲を弾きたいですか? と先生は聞いてくれた。
「弾き語りをしたいです」
思いもよらない言葉が無意識にも出てきてしまって、心の中で大丈夫か? と思ったけれど、自然な流れに任せてみることにした。弾き語りだからと、好きな曲の楽譜を自分で用意して次回持ってくることになり、その日のレッスンは終わりとなった。
そのときだった。そういえば……、と先生は言いながら、ある人の感想を私に話してくれた。
「井上さんが、ここに入ってきたときに入れ違いに帰っていった生徒さんのお母さんなのですけど、井上さんの弾いた曲がすごくよかったと言っていました。音の一つひとつが丁寧で、そこに何か感じるものがあって、と。また、昨年の発表会のときから井上さんのことを覚えていてくれたみたいです」
私は少しびっくりした。最後まで弾けたとはいえ、途中で止まってしまったし、聴いていた方からそんな感想を言ってもらえるなんて。心がすっとした思いだった。
そして、もう一つ少し驚いたことがあった。発表会を終えたあと数日が経ってからだったか、「歌の翼に」を家で弾いてみると、重荷が外れたかのように指の動きがさらに滑らかになっていたのだ。
そして、本番から帰ってきた私にとって大切だと思えたのは、自分のやったことをほめてあげることだった。
自分で書いた歌詞の中にあったように、半ば途中で倒れたとしても、自分にならできると、乗り越えたこと。
そして、本番前に自分の内側から浮き上がってきた過去世のトラウマに理解を寄せて、過去に止まってしまったものを現在の中で先に進めることができたことを。
先生には事の一部始終を伝えることはできなかったけれど、発表会を通して本当に価値のある体験ができてよかったと、感謝の言葉を伝えた。
しばらくはクライマックスを体験し終えたような感じが残っていて、本番当日のことを思い返しては、自分が体験したことに思いをはせていた。
新たな風を吹かすかのように、過去の体験を温かい目で見つめてあげることは、非常に価値がある。
このことを私は知っていたため、あえて時間をとって、体験してきたことをふり返り、温かい気持ちを自分に流していた。
潜在意識には、過去のトラウマや感情が潜んでいる。これらを見直し、一つひとつを癒やしていくと、現実の中で大きな変化が起こる。
身体が動きやすくなったり、今までできなかったことを軽々とできるようになったり、他の人との関係性が良好になったりすることもある。
そのためにも過去に体験した事柄は、必然的に日常の中で改めて立ち現れてくる。そして、現実に現れたものを通して、過去の体験(トラウマなど)を温かい気持ちで見直すことができれば、今までと違う日常を生きることができるのだ。
弾き語りの曲は、意外にもケツメイシの「友よ」という曲に決まった。ラップ調の曲をまさかピアノのレッスンで弾くことになるとは思ってもみなかったけれど、2つ持っていった楽譜のうち、「友よ」のほうがその当時の私には合っていると先生が言ってくれたのだ。
しかし、今までと違うのは、弾きながら自分で歌うということだ。ピアノの伴奏も複雑なリズムで構成されているのに、そのうえ歌うとなると、ハードルが一気に上がってしまったように感じた。
半年経っても、なかなか先に進めず、楽譜の半分までも到達していなかった。目標を失ってしまったかのように間延びしてしまう時期もあった。
それでも、弾き語りをしてみたいと自分の中で感じ、それを現実の中で体験できているのは、奇跡と言ってもいいくらいであった。なにしろ、音楽に関しての私のスタート(もちろん今世において)は、ゼロよりもさらに下の地点だったのだから。
結局、7~8か月が経ったころ、先生からのアドバイスで新しい曲に移ることになった。ケツメイシの「友よ」は、好きな曲でもあったから、引き続き自分で練習していくことにした。
次に選んだ曲は、一青窈(ひととよう)の「ハナミズキ」。30才くらいのときにカラオケで歌ってみたけど、まったく歯が立たなかった曲だ。
まずは、ピアノの伴奏部分を確実に弾けるようになるための練習をしていく。そして、左手と右手を使い、ある程度ピアノの伴奏を弾けるようになってきたら、今度は歌のパートの音程をピアノの音で確認していく。楽譜通りに歌えるようになったら、別々に練習していたピアノの伴奏と歌を組み合わせていく。
私にとってはここからが難しい。歌だけなら、伸び伸びと確実に歌えるようになっている。しかし、ピアノを弾くとなると、自分の中の労力をその分ピアノに費やしているから、歌うときは残りの労力しか使えない。つまり、80%の労力を、ピアノを弾くことに割いていたら、残りの20%の労力しか歌には割けないのだ。
だから、ピアノを弾きながらだと、歌の音程もなかなか合わせられないし、声量も蚊が鳴くくらいにしか出せなくなってしまうのだ。
しかし、おもしろいことに弾き語りをピアノで練習していると、その曲をカラオケで歌うときは、驚くほど上手に歌えるようになっていた。おそらく楽譜を見ながら、曲の細かい部分まで真剣に捉えようとしていたからなのだろう。
ピアノのレッスンは、その次の春が来たときに終わりにした。仕事が少しずつ忙しくなってきたのもあったけど、自分の中で心残りになっていたことをやり終えたような感覚になっていたからだ。
「ハナミズキ」に関しては、前半部分まで弾き語りができるようになったところで区切りをつけた。
・・・・
全20話の物語。最終話の配信は9月5日(木)12:00です。
配信済み話は、こちら。
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