「氷山に咲く大輪の花」 第20話 

子どもの頃から歌うことが苦手だった私の人生の物語。2024年7月より毎週月、木曜日に次の話を配信。第1話は、こちら


第20話

2011年に、40才を目前にして自分の中にある音楽の扉を開き始め、気づいたらもう10年以上の月日が経っている。その中で体験したことは、どれもかけ替えのないものばかりで、自分の人生を本当に豊かにしてくれた。

ずっと心の中で引っかかっていたのは、何気ない日常の中で歌を気軽に口ずさむことができないこと。なんとなくトイレで歌ってみても、音程もリズム感もない歌声を自分で聞いて、嫌になって歌うのをやめてしまうこともあったくらいだ。自分に子どもができたとして、歌を歌ってあげるときはどうしたらいいだろうか。そんなどうでもいいようなことを気にすることもあったけれど、今では気にならなくなっている。

ピアノのレッスンをやめてからも、ピアノの弾き語りは今でも続けていて、「友よ」と「ハナミズキ」以外にもレパートリーが増えた。

しかしながら、日常の中でなぜこれほどまでに、自分を深掘りし、過去世の亡き骸(がら)を見直して、現在の中でそれを復活させていく必要があったのか。
それはおそらく、心おきなく今世でやりたいことに意識を向けていくことを、私自身が望んでいたからなのだろう。
実際に、過去世での記憶や後悔が自分の内側に取り残されていたことに気づいて、理解を深めていくことで、それが今の活動につながっていることがわかった。

氷山の一角という言葉があるけれど、その「一角」以外の目に見えない部分が、人の内側には存在していて、それを潜在意識とも言う。おそらくその部分には、二つとない個性や人それぞれの体験が数多くつまっているのだろう。
そして、それらは日常の中で、一つひとつ芽を出してくる。誰かが言ってくれた言葉も、偶然起こったように思えることでも、潜在意識の奥深く、まるで氷山の中にあるようなものを照らし出すために、きっかけを作ってくれる。

私の場合、多くのことが人生の中で必然的に起こっているように思える。子どものころピアノを弾くことを拒絶したのも、中学のときの友人が歌っている姿が、色濃く自分の記憶に残っていたのも、ボイストレーニングのために通い始めた先で声楽のレッスンが始まったことも。

人生の一つひとつの体験は、点のようにバラバラではあるけれど、それらを一つの人生の流れとして捉えてみると、体験することに無駄はなく、すべてがきれいに結びついていることがわかる。
潜在意識の深い部分で眠っているものは氷山のようでもあり、そこに温かいまなざしをかければかけるほど、その氷は溶け、過去の固まっていたネガティブな感情などはほどけていく。

これは私の中で体験してきたことだけど、何かしらの感情が浮かんできたときは、それをなるべく見逃さずにチェックすることが大切。不安、悲しみ、孤独感、さまざまな感情があるけれど、一つひとつ癒やしていくことができれば、身体の中の重みは、その分、軽くなっていくのだ。
そのおかげで、一回一回の機会ではわずかだけど、歌うときの声の出し方や声の質、ピアノを弾くときの指の運びは、ごく自然にさらによい状態になっていった。こんな感じで、日常を本来の自分らしく歩けるようにもなっていくのだ。

潜在意識という誰しもの内側には、大輪の花がある。人によっては、子どものときに抱いた感情や、過去世で体験したトラウマなどが、心のブロックとなって咲きにくい状態になっているけれど。
それでも、日常は偶然のように見せかけて、心の重みとなっている過去の感情がほどかれていくようにも運ばれている。私にはそのように思えてならない。

しかし、誰もが望んで過去の苦しい体験をふり返ることなんてしたくはないだろう。それでも、内側からの呼び声は、現実の中で少しずつ大きくなっていく。日常を変えることが大切だからと、立ち止まる勇気をもつようにさとしてくるのだ。日常を生きている自分は、そんな大きな呼び声を無視したくもなるけれど、もう一人の内側の自分はどこまでも追いかけてくるかのようだ。

新しい空気を吸いたい。前に進んでいきたい。そんなふうに心のどこかで思っている自分自身は、どこに向かっていきたいのか。それを教えてくれるのが日常の出来事なのだろう。簡単ではないけれど、見方を変えれば、湖の底に眠っているような過去の気持ちを拾い上げるチャンスを、日常で起こっている出来事から見つけることができるのだ。

私に関して言えば、多くの過去の感情が癒やされ、心の重みが外れることにより、玉ねぎの薄皮がはがれていくかのように、内側の新しい自分が現れてきた。新しい自分といっても、それは、ずっと奥深くにいた本来の自分自身だから、あっ、自分は本当はこうなんだ、ということなのだけれど。

だからこそ、日常の体験はおざなりにできないと思える。一つひとつの体験が何かに結びついて、結果、時間はかかっても新しい自分を知っていくことになるのだ。どんなに嫌なことがあったとしても、すべての体験は、本来の自分を知るための出来事であり、気づきのための扉となるのだから。

唯一無二の大輪の花は、誰もの潜在意識、氷山といえるその中に、確実に存在している。光を浴びに現実の中に現れてこれないとしても、いつでもその実体は内側にあるのだ。日常の中で、気づきを深めていけばいくほどに、いつかは大輪の花を誰もが自分自身で体感することができる。私自身の体験を通しても、それを日々実感している。


配信済み話は、こちら

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あとがき

最終話まで完走していただきまして、心より感謝いたします。この物語は2022年の冬に書き下ろして、今年になってから細部を加筆修正しました。

「氷山に咲く大輪の花」はいかがでしたか? 自分の中には一体どんなものが眠っているのか。お一人お一人の中に眠っているものは、本当に尊いものばかりだと思います。
基本的にこの物語の中では、歌や音楽に関して書き綴っていますが、一つのトラウマを癒やし切ることは、日常の他のことにも自然な形で良い結果をもたらします。
私の場合は、胸の奥の重み(恐怖心や様々なもの)がなくなっているため、自分が伝えたい内容を、より明確に伝えることができるようになりました。また、年齢を重ねているにもかかわらず、身体の動きは30代の時よりも軽やかに感じます。

ちりも積もれば山となる。
日々自分に向き合うことは、ときに苦しさを伴うこともありますが、一日一日は地道でも、効果を実感できた時は何にも変えがたい価値をもちます。

流れゆく人生の中で、皆さまの大輪の花もさらに輝きを増していきますように。


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